タグホイヤーとは?
タグホイヤーは、古くからストップウォッチやクロノグラフの技術に長けており、数々の名作ウォッチを世に送り出してきました。
その中で、カーレースのチームや著名なレーサーにも愛用されてきた歴史があり、多くのファンを獲得してきました。
1992年からはF1の公式タイマーも務めており、さらに2004年からはインディカーレースの公式タイマーに。
カーレースと言えば、タグホイヤーという地位を確実に作り上げております。
なぜ、タグホイヤーの時計は、ここまでカーレースの現場で愛されているのか。
タグホイヤーの時計開発の歴史とともに、その魅力について見ていきたいと思います。
タグホイヤーの誕生は1860年
では、まずはタグホイヤーというブランドについて、現在の動向とその特徴を見ていきましょう。
タグホイヤーの創業は1860年。ドイツ系スイス人時計師、エドワード・ホイヤーによって立ち上げられました。
エドワード・ホイヤーは、1856年、16歳で時計メーカーに就職。
その後20歳という若さで、タグ・ホイヤーの前身であるエドワード・ホイヤー・ウォッチメーカーズを設立しています。
現在はタグホイヤーですが、1985年まではホイヤーの名称で展開されていました。
同じくらいの時代に創業された有名ブランドには、パネライ(1860年)、ショパール(1860年)、ゼニス(1865年)、IWC(1868年)など、そうそうたるメンバーが並んでいます。
創業から約160年という、長い歴史を持つブランドです。
現在のラインナップは、8コレクション。カレラ、フォーミュラ1、アクアレーサー、オータヴィア、モナコ、リンク、コネクテッド・モジュラー、ヘリテージ。
モデル数にすると、実に300以上の現行モデルを販売している、巨大ブランドになっています。
卓越したストップウォッチの技術
そんなタグ・ホイヤーというブランド。卓越した時計作りの技術で、創業初期より高い評価を得ていましたが、一つの転機となったのは1882年。
懐中時計の形状でストップウォッチ機能を持たせたクロノグラフの開発でした。
以降、ストップウォッチおよびクロノグラフを中心にした時計作りに注力。
1887年には、ホイヤー史、そしてクロノグラフの歴史において、重要な技術が発明されます。
それが振動ピニオンです。振動ピニオンは、クロノグラフのスタートおよびストップ時に使用する小さな部品です。
時計の動力をクロノグラフ側に繋げたり離したりするための部品なのですが、当時はまだクロノグラフの機構がかなり複雑だった時代。
スイッチを押してから複数の部品を介してようやく針が動き始めるという状態でした。
振動ピニオンはその過程を簡略化したことで、スイッチを押してから動き始めるまでの時間を縮めることに成功。
レスポンスの良いクロノグラフが完成したことで、より精度の高いタイム計測を可能にするとともに、構造の簡素化によって、量産も可能となりました。
1914年には、この技術を使用して、腕時計タイプのクロノグラフの開発にも成功しています。
さらに、2010年にはこの時代へのオマージュとして、新型ムーブメント・キャリバー1887が登場しています。
いかに時代の先を行っていたかが、よくわかりますね。
1/100秒の計測へ
その後もストップウォッチ、そしてクロノグラフに注力を続けたホイヤー。
車や飛行機の車載クロノグラフの発表、特許取得を経て、1916年には1/100秒の計測が可能な機械式ストップウォッチを発表します。
マイクログラフと名付けられたこのストップウォッチ。36万振動という驚異的な振動数で、1/100秒の計測を実現しました。
振動数というのは、時計の心臓部であるテンプが1時間あたりに動く回数を指します。1時間は3,600秒です。
振動数36万というのは、その100倍の動きで針を動かすことが出来るため、1/100秒まで読むことが出来るという仕組みです。
その技術は高く評価され、やがてスポーツ競技の世界に用いられるようになります。
オリンピックとホイヤーのストップウォッチ
マイクログラフが、スポーツ競技で初めて正式採用されたのは1920年。アントワープオリンピックでした。
日本人が初めてオリンピックに出場したのは1912年のストックホルム大会。大河ドラマいだてんの劇中でも描かれているため、ご存知の方も多いと思います。
1916年のベルリン大会は、第一次世界大戦のため中止となり、その後、戦争の爪痕が残るベルギーで、復活開催されたのがアントワープ大会でした。
テニス男子ダブルスで、熊谷・柏尾ペアが日本に初のメダルを持ち帰った記念すべき大会です。
この大会、16位という結果ながらも、日本人初のマラソン完走者となった金栗四三氏。
その他、世界に挑んだ多くの日本人選手のタイムを計っていたのが、このマイクログラフです。
ホイヤーのストップウォッチは、その後の1924年パリ大会、1928年アムステルダム大会でも公式タイマーに採用されています。
日本人選手が陸上や競泳など、スピード競技においてもメダルを獲得した時代ですね。と思うと、ちょっと縁を感じるような気がします。
パイロットクロノグラフの開発へ
オリンピックへの正式採用で、クロノグラフのにおいて、リーディングカンパニーへと成長し、さらに技術に磨きをかけたホイヤー。
次に取り組んだのは、パイロット用クロノグラフウォッチの開発でした。
1930年に完成したこのモデルは、後に防水性能が追加されるなどの改良が加えられ、二人の偉人に愛用されることとなります。
一人はオーギュスト・ピカール氏。何者かというと、後にロレックス・ディープシーチャレンジとともに、マリアナ海溝最深部に挑むこととなる科学者。
潜水艇トリエステ号の開発者です。
そしてもう一人は、アイゼンハワー氏。いわずもがな、後に第34代アメリカ大統領になる男。
1945年当時は、陸軍元帥でした。ちなみに彼も後にロレックスと関りを持つことになります。
ホイヤーとロレックス。直接の関りはないものの、不思議と縁があったのかも知れませんね。
ちなみに、このあとの時代。1940年代後半~1950年代までは、大きな出来事こそないものの、ユニークなモデルがたくさん発表されています。
タコメーター付きのオートグラフ。潮位インジケーター搭載のソルナール。潮位インジケーターとレガッタクロノグラフ搭載のマレオグラフ。
第二時間帯の表示が可能なツインタイム。クロノグラフのみではなく、他の技術にもチャレンジしていたことが伺えます。
NASA非公式ながら宇宙へも進出
ホイヤーに次なる転機が訪れたのは、1962年2月。マーキュリー計画におけるfriendship7ミッションで、ジョン・グレン飛行士によって、スイスウォッチとして初めて宇宙に持ち出されることとなります。
当時の装備品は、NASA公式ではなく、飛行士の個人判断によって選ばれていましたが、オメガのスピードマスターよりも8か月ほど早いタイミングに地球を飛び出し、地球の周りを3周、帰還することに成功しています。
その翌年。1963年には、カレラ・パンアメリカーナ・ラリーという公道を使用したカーレースへのオマージュとして、現在もブランドを代表するモデルの1つになっている『カレラ』を発表。1964年には、NASAによる公式ウォッチ選定が行われましたが、そこにホイヤーのエントリーは無し。
ロレックス、オメガ、ロンジンが、アポロ計画用の腕時計開発で戦いを繰り広げている中、ホイヤーはクロノグラフムーブメントの製造メーカーであるレオニダスと協力。ストップウォッチの開発で培った技術と、オリンピックで認められたことへの自信を胸に、スピード競技の最高峰ともいえるカーレースという華々しい世界へ、チャレンジの舞台を移していくこととなります。
キャリバー11の登場
レオニダスとの協力により、弾みをつけたホイヤーは、1969年にキャリバー11を発表。
これは腕時計の歴史上初の自動巻きクロノグラフの一つとなり、オータヴィアとカレラに搭載。
さらにスクエアケースが特徴的なモデル『モナコ』にも搭載されました。
モナコは、1971年に映画【栄光のルマン】劇中で、俳優スティーブ・マックイーンに着用され一躍注目モデルに。
左リューズ仕様のマックイーンモデルは、現在もその系譜は受け継がれ、現行モデルとしても販売が継続されています。
そして同年。フェラーリ・レーシングチームのタイムキーパーとして正式採用されることに。
カーレースでの活躍を目指したホイヤーにとって、この契約は大きな躍進となりました。
タイムの計測には、1/100秒の精度を誇るクォーツ式のポケットタイマーも使用されました。
クォーツショック
ところで、さらっと進んでしまいましたが、この時代多くのブランドがダメージを受けたのが、クォーツショックですよね。
1969年に発表されたセイコーのクォーツウォッチは、世界中の機械式時計メーカーの売り上げに、大きな影響を与えました。
フェラーリとの契約までは順調だったものの、徐々に業績不振に陥り、1982年にはピアジェ傘下に。
さらに1985年にはTAGグループからの資金援助を受けることとなります。
この時、ホイヤーはTAGの名を冠することとなり、タグ・ホイヤーへとブランド名を変えたという流れになります。
ただ、この資金援助は決してマイナスなものではありませんでした。というのも、TAGグループというのはマクラーレンの共同オーナーなのです。
なので、ホイヤーにとっては、結果的にカーレースの世界で活躍を続けるチャンスの再来となったわけです。
そのチャンスをしっかりとものにした新生タグ・ホイヤー。
1988年には音速の貴公子の名でも知られるF1レーサー、アイルトン・セナとアンバサダー契約を交わします。
セナが愛用したセルという時計は、瞬き間に人気モデルとなり、ブランドの認知に大きく貢献。セルは現在モデル名を変え、リンクというシリーズで展開が続けられています。
F1、インディカーへの挑戦
さらに新生タグ・ホイヤーの快進撃は続きます。1992年にはカーレースの最高峰であるF1の公式タイマーに。
2003年まで長きにわたり、数々の伝説的なレースをサポートしてきました。
2003年には、1/1,000秒の精度を誇るクォーツ式クロノグラフ・マイクロタイマーを発表。
2004年からはインディカーレースに舞台を移し、さらなる活躍を続けています。
その傍ら、複雑機構の時計製作にもチャレンジ。V4コンセプト、キャリバー360、グランドカレラなどのモデルを発表。
バーゼルワールドへの出展を通じて、技術の高さを世界へとアピールしています。
そして2015年。タグ・ホイヤーを象徴する新たなキャリバーが登場します。
1887年に作られた振動ピニオンの技術をベースに作られた新しいキャリバーは、ホイヤー01と名付けられ、カレラに搭載。
一大ムーブメントを巻き起こし、現在も高い人気を誇っています。
まとめ
以上、タグ・ホイヤーの歴史背景について、見てきました。カーレース以前はパイロット用。
それ以前はスポーツ競技用と、スピードを追求する世界で成長してきたブランドですね。
次なる仕掛けは、ということで2019年の最新作、おさらいしてみましたが、発表されたのは、まさかの3針タイプでした。
オータヴィア・アイソグラフというモデルですが、オータヴィアはもともと1930年代に車や飛行機のダッシュボードに埋め込まれていたクロノグラフです。
その後、ジャック・ホイヤーの手により、腕時計へと進化していますが、その時は回転ベゼル付きのクロノグラフでした。
なので、オータヴィアと言えばクロノグラフなんですが、、、2019年の新作はなんと3針デイトに無回転ベゼルという組み合わせの、シンプルなスポーツウォッチでした。
大型のリューズやアラビア数字のインデックスなど、所々にレーシーな雰囲気を感じることはできますが、これまでのタグ・ホイヤーにはなかった、全く新しいジャンルの時計になっています。
得意とするクロノグラフの技術追及とともに、こうした新しいチャレンジを止めない姿勢が、一流のレーサー達に愛された理由なのかも知れません。
というわけで、本日はタグ・ホイヤーの歴史についてお送りしました。